ポール・マッカートニー(Paul MacCartney)とは?
生誕: 1942年6月18日(78歳!)
担当: 主にベース・ボーカル(その他いろいろ)
解説:セールスマンの父(アマチュアのジャズ・ミュージシャン)と母メアリーの間に生まれますが、ポールが14歳の時にメアリーが死去。この時最初の作曲「アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール」が出来ます。
1957年、知人の紹介によりジョン・レノンと運命の出会いを果たし、ビートルズの前身「ザ・クオリーメン」に参加します。
1962年、ビートルズとしてデビュー。彼らの最初のシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」はポールによる作品です(一部、ミドルエイトをジョンが手伝っています)。
最初はジョンの個性が強かったビートルズですが、歳を重ねるごとに他のメンバーの才能も開花していきます。
その中でもポールのソングライティングはジョンを凌ぐほどに成長します。クラシックやジャズにも通じる繊細なメロディーラインが持ち味ですね。
1967年以降、メンバーそれぞれの活動が活発になり、グループとしての存続が危ぶまれていきます。
ポールは当初、ビートルズをつなぎとめようと努力しますがうまくいかず、結局1970年にポールのほうから脱退を表明。翌71年には所属会社と他のメンバー三人を訴えたポールの言い分が認められ、裁判所でビートルズの解散が決定しました。
その解散決定からちょうど一週間後に最初のソロアルバム「マッカートニー」をリリース。これが「宣伝に解散を利用した」という批判を受け、メンバーとの関係はしばらく超険悪になります。今でいう「炎上商法」だといわれてしまったんですね。
しかし、そんな非難もどこ吹く風。71年に妻のリンダと結成したウィングスでもヒット曲を連発していきます。
ジョンの死
1980年12月、ジョン・レノンが自宅アパート前で射殺されるという衝撃的な事件が起こります。ショックを受けたポールはしばらく自宅に引きこもって過ごすことになります。解散から10年の月日が流れ、メンバーとの仲も戻りつつあった矢先だったんですね。
現在
長いキャリアの中で何度かのスランプを経験しながらも、そのたびに他のアーティストとのコラボレーションなどを経ながらヒット曲を絶えず生み出します。
70歳を過ぎた現在もコンスタントにリリースを続け、ライブも行い、時代をリードする若手プロデューサーともタッグを組んだりして驚かされます。
さて、こうして一気にポールのキャリアを振り返ってきましたが、やはり一貫して言えるのはそのプレイヤビリティの高さでしょう。とにかく楽器が上手い。ギターもベースもドラムもピアノもボーカルも。もう稀代のスターなんですよね。
あの国民的キャラクターのモデル?
余談ですが、フジテレビの子供向け番組「ポンキッキーズ」に登場する「ガチャピン」と「ムック」はそれぞれ「ポール」と「ジョン」がモデルになっているそうです。
何でもできるガチャピン=ポール
なまけもののムック=ジョン
なんだかジョンに怒られそうですが、そんな鉄壁のコントラストがバンドにあることが彼らが子供から大人まで愛される理由かもしれませんね。
使用楽器
ヘフナー 500/1
Hofner Ignition Bass KH-SOHI-BB(SB) ビートルズファン憧れのヘフナーバイオリンベース
リッケンバッカー 4001S
Rickenbacker / 4001S Maple Glo 1981