ビートルズ、最後のアルバム「レット・イット・ビー」。悲劇の作品の背景をどこよりも詳しく解説します!

アルバム「レット・イット・ビー(Let It Be)」とは?

レット・イット・ビー

概要

発売日:1970年5月8日

録音時期:1968年2月、1969年1月、1970年1月から4月

同名映画のサウンドトラック

1969年9月発表の「アビー・ロード」より前にレコーディングされていた「ゲット・バック・セッション」音源を基に制作されました。

1970年5月20日公開の同名映画(「ゲットバック・セッション」の模様と「ルーフトップ・コンサート」を収録したドキュメンタリー)のサウンドトラックという立ち位置です。

「ゲット・バック」のコンセプト

その「ゲット・バック」セッションには文字通り「原点に立ち返る」という意味と

「過剰なオーバーダビングを無くす」という狙いがありました。

中期の「Rubber Soul」「Revolver」「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」で、

エフェクトや逆回転といった当時の最新技術を使い倒してきた彼らも、

一度それらを取っ払ったシンプルな音作りを目指したのでしょう。

集中力を欠いたレコーディング

「ゲット・バック・セッション」はトゥイッケナム映画撮影所とアップル・コア本社の地下スタジオで行われましたが、

慣れない場所ということもあり、あまりいいレコーディングにはなりませんでした。

私語をかわしたり、即興演奏をはじめたり、、、。

バンドはその後、この作品への興味をなくし

全く別の作品「アビー・ロード」の制作へと移っていきます。

それでもポール・マッカートニーはエンジニアのグリン・ジョンズに

二度も音源をまとめさせますが、

満足のいく(これまでの傑作群と並べられる)作品にはならず、

「ゲット・バック」計画は暗礁に乗り上げました。

しかし「アルバム発売」は契約義務であった事と、

映画「レット・イット・ビー」のサウンドトラックが必要だったこともあり

この音源はなんとか形にしなければならない。

その思いがメンバー全員にあったのです。

フィル・スペクター登場

1970年初頭、ジョン・レノンは自身のソロ音源の制作を

ジョージハリスンとともに行っていました。

その時、ジョンにプロデューサー「フィル・スペクター」を薦めたのはほかならぬジョージでした。

フィル・スペクターの仕事ぶりに感心したジョンとジョージは、

同年3月、行き場を失っていた「ゲット・バック・セッション」音源を託します。

魔法(オーバーダビング)がかかり、コンセプトが消えた

フィル・スペクターはオーケストラやコーラスをオーバーダビングしていきました(リンゴもドラム・レコーディングに呼ばれています)。

ジョンとジョージはその仕上がりに満足しましたが、

ポールは寝耳に水状態で特に「The Long And Winding Road」の

オーケストラ・アレンジには怒り心頭となり、

発売差し止めを求め訴訟まで起こしています(契約義務であった為に結局は発売を認めています)。

※さらにポールは、アルバム「Let It Be」リリースの為に

自身のソロデビューアルバムの発売を後ろにずらされるなどしました。

収録曲

①Two Of Us

②Dig A Pony

③Across The Universe

④I Me Mine

⑤Dig It

⑥Let It Be

⑦Maggie Mae

⑧I've Got A Feeling

⑨One After 909

⑩The Long And Winding Road

↑フィル・スペクターバージョン

↑オーケストラ抜きバージョン

⑪For You Blue

⑫Get Back

まとめ アルバム「レット・イット・ビー(Let It Be)」

せっかくレコーディングした音源を何とか形にしたい想いと

「シンプルな自分たちに戻りたい」という想いが、

交わることなく発売されてしまったアルバム「レット・イット・ビー」

決して悪い作品ではありませんが、

これまでの作品が傑作過ぎた故に生まれてしまった悲劇なのかもしれません。

2003年には「レット・イット・ビー・ネイキッド」と称して、

フィル・スペクターのオーバーダビングを排したバージョンもリリースされています。

レット・イット・ビー

レット・イット・ビー・ネイキッド

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