ザ・ビートルズ / 1962年~1966年 ( 赤盤・CD2枚組 ) TBCD-001
コンテンツ
- 結論
- そもそも版権(原盤権)って?著作権と違うの?
- ビートルズの版権の流れ
- ①1963年、ディック・ジェイムズの音楽出版会社DJMに「Please Please Me」を売る
- ②ディック・ジェイムズとエプスタイン、ジョン、ポールで会社「ノーザン・ソングス」を設立
- ③1965年、節税のために「ノーザン・ソングス」株式公開
- ④1967年、ブライアン・エプスタイン死去
- ⑤ディックたちは放送メディアのATV(Associated Television)に自分たちの権利(88曲分)を売却
- ⑥1969年ビートルズ側が所有している版権もATVに売却
- ⑦1980年、ジョン・レノン死去。
- ⑧1981年、ATVが大富豪ロバート・ホームズに買収される
- ⑨音楽に興味のないロバートはATVのミュージック部門を売りに出す
- ⑩1985年、マイケル・ジャクソンがATVを買い取る
- ⑪金銭難でATVに権利の半分を譲渡
- ⑫2009年、マイケル・ジャクソン死去
- ⑬発売から56年経過した曲たちがポールに戻り始める
- まとめ
結論
現在はビートルズの版権のほとんどをSONY/ATVミュージック・パブリッシングという会社が持っています。
ただ、
1978年以降に制作されたコンテンツの著作権は56年後に作曲者の元に戻る
というアメリカの著作権法の定めによってビートルズの楽曲は少しづつポール・マッカートニーの元に戻ってきています(ビートルズの他のメンバーである、ジョン・レノンもジョージ・ハリスンも亡くなっていて、リンゴ・スターはほとんど曲を書いていません)。
※2020年時点で1964年の曲たちが戻ってきています。「A Hard Day's Night」あたりですね。
書いたのも、アレンジしたのも、演奏したのも、歌ったのも全部自分たちなのに、何故権利が彼らになかったのでしょうか。
初心者にもわかるように分かりやすく解説していきます。
そもそも版権(原盤権)って?著作権と違うの?
著作権とは
自分が作った作品を他人が勝手に使うのを拒否することが出来る権利のことです。作った瞬間に発生し、どこかに登録する必要はありません。
版権(原盤権)とは
録音したものを、他人が勝手に使うことを拒否できる権利です。演奏者という意味ではなく、基本的にはレコーディングにお金を出した人になります。
つまり、ビートルズの版権を持っているということは、「ビートルズの音源がどこかで使用されるたびにお金が入る」、ということですね。
ビートルズの版権の流れ
①1963年、ディック・ジェイムズの音楽出版会社DJMに「Please Please Me」を売る
当時のヒットの法則は、大手音楽出版社と組んでラジオ局で曲を流してもらうことでした。ビートルズのデビュー曲「Love Me Do」にあまり手ごたえを感じなかったマネージャーのブライアン・エプスタインは焦っていたのかもしれませんね。
②ディック・ジェイムズとエプスタイン、ジョン、ポールで会社「ノーザン・ソングス」を設立
「Please Please Me」がヒットして味をしめたディックはビートルズ側に新しい会社設立を進言。版権管理会社「ノーザン・ソングス(Northern Songs)」が生まれます。これ以降、ジョージ・ハリスン作の一部を除き、ほぼすべての曲の権利が「ノーザン・ソングス」に入るようになります。
また、この時の契約が、
❶1973年まで毎年最低6曲は曲を登録すること。
❷株の比率は、ディック(とそのパートナー)が50%、エプスタインが10%、ジョンが20%、ポールが20%というモノでした。(このめちゃくちゃな契約が後々大変なことにつながります。)
③1965年、節税のために「ノーザン・ソングス」株式公開
ディック側が37.5%、ジョンとポールはそれぞれ15%に低下。
④1967年、ブライアン・エプスタイン死去
ジョンとポールはディック側の分を買い取ろうとしますが失敗。
⑤ディックたちは放送メディアのATV(Associated Television)に自分たちの権利(88曲分)を売却
⑥1969年ビートルズ側が所有している版権もATVに売却
1973年までの毎年ノルマ6曲を破棄することと引き換えに、ビートルズ側が所有している版権をATVに売却します。バンドの崩壊期だったんですね。これ取引を成立させたのが、アレン・クラインというのも、どこかきな臭い話です。
1971年、ビートルズは解散します。
⑦1980年、ジョン・レノン死去。
⑧1981年、ATVが大富豪ロバート・ホームズに買収される
この時、ポールはヨーコとともに版権を買い戻す話がきますが、折半代金をヨーコが値切り、決裂します。この時、ポールは自分だけで買うこともできましたが、ジョンがなくなって日が浅いこともあり、それは憚られたといいます。
⑨音楽に興味のないロバートはATVのミュージック部門を売りに出す
ここでも再びポールに買い戻しのチャンスがやってきますが、「高すぎる」を理由に断ります。
⑩1985年、マイケル・ジャクソンがATVを買い取る
「スリラー」(1982年)のヒットなどで波に乗っていたマイケル・ジャクソンがATVを買い取ります。その数年前「版権ビジネス」をマイケルに教えたのがポールだったというのですから皮肉です。
↑ポールとマイケルの共作「Say Say Say」(1983年)。一時は深く交流のあった二人ですが、版権をマイケルが買い取ったことを、ポールはあまり良くは思っていなかったようです。
⑪金銭難でATVに権利の半分を譲渡
マイケルとATVが50%ずつ合同出資を行い版権管理会社(ソニー/ATV)を設立。以後、マイケルはATVから報酬をもらうという形になり、版権自体はソニー/ATVのものとなります。
⑫2009年、マイケル・ジャクソン死去
このとき、マイケルが残していた遺書には「版権をポールに戻す」という記載があったそうですが、そもそも既に権利はマイケルからATVに移っていたため実現しませんでした。
⑬発売から56年経過した曲たちがポールに戻り始める
冒頭で書いた通り、
1978年以降に制作されたコンテンツの著作権は56年後に作曲者の元に戻る
という憲法が作用し始め、徐々にポールに版権が戻っています。
まとめ
自分たちの曲なのに、権利がない。これは辛いことです。
彼らはプロですからね。
ですが、それならば最初の「ノーザン・ソングス」の契約にきちんと注意すべきでした。
当時まだ20代前半だったジョンとポールは、ろくに契約書を読まずにサインしてしまったそうです。
私たちも契約事には、しっかりと気を付けていきたいものです(規模が全然違うけど)。