1968年11月にリリースされたアルバム「ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)」。
音楽性が多岐にわたり、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターのメンバー4人それぞれが、成長している事を伝えるには十分すぎるほどの大作でしたが、
それは同時に「もはやビートルズは、かつての≪バンド≫ではなくなってしまったのではないか」。そんな疑問をファンたちにもたれる結果となります。
実はバンド側も同じ思いでした。
ホワイトアルバムリリースの翌年1969年1月「もう一度原点に立ち返ろう(ゲット・バック)」というコンセプトのもと、トゥイッケナム映画撮影所とアップル・コア本社地下のスタジオにてレコーディング・セッションが行われました。
まとめると、以下のようになります。
- ①「原点に立ち返る」コンセプトで行われた
- ②映画スタジオと自社スタジオの二か所でセッションがあり、その中でルーフトップ・コンサートもあった
- ③録音された音源は「ゲット・バック」という名前でリリースされる予定だったが、結局アルバム「Let It Be」になった
ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)(3CDデラックス・エディション)(限定盤)(3SHM-CD)
ゲット・バック・セッション とは?
時期:1969年1月2日から1月16日、1月21日から1月31日
場所:トゥイッケナム映画撮影所、アップル・コア本社地下のスタジオ
意図(コンセプト):原点に立ち返る
トゥイッケナム映画撮影所
1969年1月2日から1月16日、主にポールマッカートニーの発案の下でビートルズは映画監督マイケル・リンゼイ=ホッグと共に、トゥイッケナム映画撮影所でセッションを開始。新しい曲を作るその過程も映画にする予定でした。最初はうまくいったかに見えましたが、慣れない場所での作業であった事と本来音楽のセッションを行う場所ではない事(当たり前ですが、映画を撮る場所)などがストレスとなり、メンバー間での衝突が増えていきます。特にジョージ・ハリスンは我慢できなかったようで、途中セッションを放棄して帰ってしまいます(レコーディング機材を持ち込んでいなかったため、この時の音源はほとんどありません)。
アップル・コア本社地下スタジオ
話し合いがもたれ、ジョージはバンドに復帰。場所を自分たちの会社である「アップル・コア」社の地下スタジオに移動します。1月21日からセッションを再開し、1月31日で終了しています。また、二日目の1月22日にはジョージが「バンド内の緊張を和らげる」目的で、キーボーディストのビリー・プレストンをセッションに迎え入れます。
伝説の「ルーフ・トップ・コンサート」
アップル・コア社内でのセッション終盤、1月30日にアップル本社ビルの屋上で2年5か月ぶりのライブコンサートを行いました。
幻のアルバム「ゲット・バック」は2枚あった?
1969年4月にシングル「ゲット・バック」がリリースされます。その後、バンドは「ゲット・バック・セッション」をアルバムとしてまとめる前に、同年7月から次作「アビー・ロード」のレコーディングを開始します。
実は、バンドは3月にエンジニアのグリン・ジョンズへ「ゲット・バック・セッション」の音源をまとめる指示を出し、5月28日にマスター・テープが出来上がっています(1969年5月28日盤)。アルバムジャケットまで撮影され、テスト盤もできますがビートルズは直前でOKを出さず発売はキャンセルされます。
12月、再度映画に沿ったサウンドトラックとして再編集することをグリン・ジョンズに命じます。翌年1970年1月5日にマスターテープが出来上がりますが、これにもメンバーは納得がいかず結局アルバム「ゲット・バック」はリリースされませんでした。そしてこれが後にフィル・スペクターの手を施され。アルバム「Let It Be」としてリリースされるのです。