「マッカートニー(MacCartney)」とは?
概要
リリース:1970年4月17日
レコーディング時期:1969年12月から1970年3月
製作背景
ジョン・レノンのビートルズ脱退
1969年9月の契約更新の席でジョン・レノンが突然、ビートルズを脱退してしまいます(その後戻ってくることはありませんでした)。
それに落ち込んでしまったポール・マッカートニーはスコットランドの田舎に引きこもります。
薬物に手を出してしまうほどに打ちのめされるポール・マッカートニーでしたが、妻リンダの献身的な支えにより、徐々に回復。
1969年年末に機材チェックを終え、翌1970年から一人でソロ作品のレコーディングを開始します。
全てを一人で演奏した宅録の先駆け的アルバム
DTMが発展した現代であれば違和感がありませんが、パソコンもない1970年代に宅録を行うことはなかなかありませんでした。
自宅に4トラックのマルチトラックレコーダーを持ち込み、一部の楽曲はEMI第2スタジオでレコーディングされましたが、演奏は全てポール・マッカートニーが行っています。
メンバーにも世間にも冷遇されたアルバム
このアルバムがリリースされた1970年4月17日の一週間前にビートルズをポール・マッカートニーが脱退したことに対し、ジョン・レノンは「ポールはPRマン」と非難。
また、収録曲の半分をインストゥルメンタル作品が占める内容にメディアも酷評をしました(商業的には成功していましたが)。
浮かび上がるポール・メロディーの美しさ
「Maybe I'm Amazed」以外あまり話題になることのない作品ですが、
このアルバムの楽曲たちから浮かび上がるのはポール・マッカートニーが本来持っていた天性のメロディー・センスです。
「That Would Be Something」などは必聴と言えるでしょう。
収録曲
①The Lovely Linda
②That Would Be Something
③Valentine Day
④Everynight
⑤Hot As Sun/Glasses
⑥Junk
⑦Man We Was Lonely
⑧Oo You
⑨Momma Miss America
⑩Teddy Boy
⑪ Singalong Junk
⑫Maybe I'm Amazed
⑬Kreen-Akrore
まとめ
その後のポール作品で、ここまでシンプルな作品はありません。
アーカイブとしてリリースされた今、ぜひ稀代のメロディー・メーカー、ポール・マッカートニーのセンスを堪能していただければと思います。