ビートルズの解散理由とは?

世界一有名なバンド、

ザ・ビートルズ。

彼らの華々しい楽曲たちは今も人々を楽しませていますが、

その解散理由はあまり知られていません。

驚くべきことに、

ポールが他の3人と会社を訴え、裁判所で解散が決まったのです。

いくつもの解散理由

ビートルズの解散理由は決して一言では説明できません。正解もないでしょう。

ここでは事実として残っていることを、順番に挙げていきたいと思います。

1966年 公演活動の終了

誰も聴いてない?

熱狂的に高まっていく彼らの人気はすさまじいものがあり、ライブ公演では失神者が続出する事態が頻繁に起こっていました。それを見たビートルズはだんだんと「誰も自分たちの演奏を聴いていないのではないか」という疑念にかられだします。

レコードと同じに演奏できない

当時の録音技術は日進月歩で高まっていました。それに伴ってビートルズも逆回転などを駆使した斬新な音像をレコードに残していきます。しかし、それをライブで再現するとなると、そこまでの技術は当時整っておらず不可能でした。

警備が大変すぎる

1966年に行われた日本公演の際も、彼らの来日を批判する街宣車などが多くあらわれ、決してすべての人に好意的に受け入れられたわけではありませんでした。また、日本公演の後に行ったフィリピンでも、ライブ終了後、暴動の中歩く羽目になり、リンゴ・スターは肋骨にケガを負ってしまいます。

ジョージがグループ脱退を申し入れる

グループの中での扱いとライブ活動についてストレスがたまっていたジョージは、当時のマネージャー、ブライアン・エプスタインにグループ脱退を申し入れます。なんとか却下されますが、これを機にビートルズは公演活動を辞めてしまいます。

ブライアン・エプスタインの死

1967年8月27日、デビュー当初からメンバーを支えてきたマネージャーであるブライアン・エプスタインが変死。メンバーは大きな衝撃を受けます。

空回るポール

ブライアン・エプスタインの死後、ポールがバンドのかじ取りを試みますがうまくいきませんでした。当時沢山のヒット曲を書いていたポールの、バックバンド的な存在になってしまうように感じたのかもしれません。

アップルの経営問題

1967年、自分達の財産を運営するための会社「アップル・コア」をメンバー4人で立ち上げます。しかし、これもうまくいきません。経営には素人の20代の若者ですから無理もないのですが。

アラン・クレイン

会社運営を任せられる人物として白羽の矢が立ったのが、ローリング・ストーンズのアラン・クレイン(ポールは反対したそうです)。これが後々、ポールと他の三人の間で訴訟問題に発展していきます。

ゲット・バックセッション

1969年、冷え切ってしまったビートルズをなんとか元に戻そうと「原点に立ち返る」をテーマに再び集まります。「スタジオでコンサートを収めたテレビ番組を作る。曲を仕上げていく過程も収める。新曲は複雑な編集作業を行わないシンプルなものにする。音源はレコードとして発売する。」と決めました。

この時録音された音源はのちにフィル・スペクターに託され1970年に「Let It Be」としてリリースされます。が、そこでオーバーダビングされた音にポールは大激怒します。

ジョン・レノンの脱退

1969年、4人とアラン・クレインの契約更新の場で、ジョンとポールが口論となります。この時ジョンが「俺はもうビートルズを辞めることにした」と吐き捨てます。脱退はこの時点では却下されますが、ジョンがバンドに戻ることは二度とありませんでした(ジョンはこの時、重度のヘロイン中毒でした)。

ポール・マッカートニーの脱退

前述の「Let It Be」の勝手な発売にポールは大激怒。発売予定だった自身のソロアルバムも発売を延期されそうになります。そんなアラン・クレインの横行にたまらなくなり、ポールは「今後ビートルズとして活動することはない」とマスコミに宣言します。

その後、1971年2月18日アラン・クレインとの契約を無効にする目的で訴訟を起こします。裁判には勝利しますが、同時にビートルズも解散を余儀なくされてしまいました。

以上、駆け足でビートルズの解散理由をおってみました。

考えてみれば彼らの活動は1961年に始まっていますから、約10年ほど(実質8年)しか期間がないことになります。意外に短いですよね。

数多くの名作を残したビートルズですが、その財産を狙って多くの人に狙われ、また音楽を離れればやんちゃな「お兄ちゃん」だった。そんな風に言えるのかもしれません。

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